2018年8月からしばらく閉講します。 また年度変わりに受講生を募集してみます。

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2019年06月30日

バカを再認識

私はお陰をもちまして、いろいろなところで演技その他の指導に当たることができています。
その場では、有名な声優、著名なナレーター、実績あるアナウンサー各位が指導に当たっておられます。
そういう有能かつ有名なかたがたと同じように指導に当たらせていただける状況は身に余る光栄です。
私は無名、無能、無力の三無主義…じゃなくて「三重苦」な人間です。

その中のある教育機関で、私は公演の演出を担当なさる有名声優さんの補助の任に就かせていただいております。
これだけでも恐れ多い事なのですが、いかんせん、私はバカなので演出の意図がさっぱりわからないのです(涙)

なぜそんな動きや段取りを指示するのか?
なぜそんな舞台装置なのか?
なぜそんな小道具が必要なのか?
なぜそんなセリフ表現を求めるのか?
なぜそんな衣裳なのか?
なぜそんな音響効果を良しとするのか?

どれも全くわからないバカな私です。

演出の意図を理解できない無能なので、受講生(生徒)の抱える問題にもちゃんと答えることができません。
それでも受講生(生徒)は、私に対してちゃんと「先生」と呼んで下さいますし、「先生、こういう場合はどうしたらいいでしょう?」と質問してもくれます。ありがたいことです!(感謝)

さりながら、なんともお答え申し上げることもできないのですぅぅぅ…(涙)
何しろバカなので演出意図が理解できないし、演出家の先生からは「余計なことを言って混乱させるな!」と釘をさされています。
「あなたは余計なことをしないで、スタッフワークの心配だけしていればいいのっ!」
とも言われています。

仄聞すれば、これまでの演出家先生たちは顔を合わせると「あいつ(私のこと)はダメだよね〜〜〜とんでもないヤツだよ〜」と互いに私の無能さを挙げてお笑いになっていらっしゃるそうです。
あ〜〜〜〜、もっとちゃんと勉強して「有名」になっておけばと悔やまれます。

でも、私が有名になるより、学生たちが「有意義」を感じて卒業してくれるほうがうれしいです(笑)
posted by 塾長 at 01:01| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月25日

人間は「過去」を忘れる

私は立場上、多くの「若者」に出会います。
その多くは「演技やナレーションや朗読などの指導の現場」です。
私は自分が経験してきたことを彼らの参考になればと思って話しています。

そして、彼ら若者は10代から20代の人たちです。
私にも当然そのような時代がありました。


昔、私がそのような若輩者の時、いわゆる「大人」が集うバーに入り浸っていたことがありました。
あまり具体的なきっかけになるエピソードはここでは言えませんが、大人たちが「酒を飲んで辛さを忘れる」ということが本当なのか…
本当にそうならそれ(酒)に頼りたいと、その頃は思っていたのでしょう。

するとある日、そのバーで同席していた見知らぬ年配者が私にこう言いました。

大人「おい、お前は大学生か?」
私「はい…ぃ……」
大人「けっ! 親の脛かじりが一人前にエエ気で酒を飲んどるんか? 何の苦労もせんとええ御身分やな(嘲笑)」
私「(言われてみればそうなので黙っていた)……」
大人「何の苦労も悩みもない、クソみたいなお前らがうらやましいわ!(嘲笑)」

私はもちろん言い返せませんでした。
ただ、「何の苦労も悩みもない」という言葉にはカチンと来たのは事実です。

歳とは関係なく、悩みや苦労のない人間などいない

と、思ったからです。(振り返れば、確かに恵まれていたのだろうとは思いますwww)

果たして、現在、歳をとってしまった私……

あの時の「大人」のようになっていないのかと自問する時があります。
それは先述した「指導の場」でです。
偉そうに、相手が自分より経験や知識の乏しいと思われる「若造」を見下していないか……

人間は「過去を忘れるもの」です。
明らかに自分より年下、あるいは自分より経験や知識の乏しいと思われる相手を私たちは見下していないか……
はたまたそれによって自分の優位を誇っていないか…

知識や経験は「後進に伝える」ものであって、「自分の優位を誇る」ものであってはいけないと思う、クソジジイです(笑)

「振り返ることの大切さ」(歴史)を無視してはいけません。

posted by 塾長 at 02:45| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

見えない雲

昔、標題のラジオドラマに出演しました。
「ドイツの原子力発電所で、もし事故が起こったらという想定」で書かれたフィクションです。(原作:グードルン・パウゼバング「みえない雲」)
主人公はヤンナ‐ベルタという中学生の女の子です。

このドラマに出演した当時は旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原発の事故があり、その前にはアメリカのスリーマイル島原発の事故もありました。しかし日本ではまだそれらほど深刻な事故はなかったので、私もそういう事故をごくごく単に想像するしかない状況でした。
振り返ればその時の自分の「想像力のなさ」に忸怩たる思いです。

しかし、東日本大地震で福島第一原発の事故(事故?)があったことを踏まえてこの物語を読み返すと、生々しいリアリティを感じます。それでもやはり私自身は直接の被災者ではないので、やはり偉そうに物を言える立場にありません。

さて、物語の中でヤンナ‐ベルタの両親と祖父母が原発について議論するシーンがありました。
その中の言葉です。

祖父「ドイツの経済は今や原子力なしでは、やっていけないよ。それに、ドイツの原発はソビエトのとは違う。あんな事故は絶対起きないさ」

「ドイツ」を「日本」と読み換えると実感できます。当時私もこの「祖父」のように高をくくっていたと思います。
ヤンナ‐ベルタの両親はもちろんこの意見に対して「絶対安全と言うことは絶対に言えない」と反論します。
これらの議論に対して祖母はこう言います。

祖母「嫌、嫌。もうたくさん。一家団らんはもっと楽しい話題を選ばなくちゃ」

現実逃避とも言えますが、それも人間というものでしょう。

ほかにも様々な言葉と行動とエピソードが強烈なリアリティをもって私たちに迫って来ます。

すみません…
言葉が出て来ない…
物語の紹介だけしておきます…
posted by 塾長 at 22:02| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

ムダをさせる役割がエンシュツカ?

ごく稀に舞台やドラマの演出を担当することがあります。(だいだい、5年に1回くらい)
でも、通常は、自分が演出を担当するのではなく、「演出家先生」のお手伝いをすることのほうが多いです。
そういうポジションはなんと言うのでしょうね…。
舞台監督でもないし、演出助手でもないし、ADやFD(これらはテレビか…)ではもちろんありません。

う〜ん、「アドバイザー(助言者)」が近いように思います。
舞台公演やAV作品制作(アダルトビデオではない)をするに当たって、演出から何かを尋ねられたら自分の知っている範囲で答えるということが多いので、やはりアドバイザーが適当ですね。
もちろん私にいわゆる「決定権」はありません(笑)
決定権を持っているのは演出家先生です。

さて、多くの演出家先生と一緒に仕事をしていると、どうにも疑問に思うことがあります。

@本番で使うかどうかわからない大道具を作らせる
A効果があるかどうか不明な衣裳を作らせる
B説明的な効果音を多く求める
C理由を言わずに作り直しを要求する
Dやはり理由のわからない演技表現や動きを求める

それぞれ説明しておきます。

@本番で使うかどうかわからない大道具を作らせる
いろいろと細かい注文をつけて製作させるのは構わないと思います。スタッフもその注文に応じるのが仕事でもありますからね?
さて、稽古が始まってからも手直し(修整)の要求が出るので、そのたびに作業を行います。そして、これが何度も続きます。
やがて本番前の仕込みをしてから「やっぱりカットする」と言われる。
どうして稽古中に、そして、手直しをさせる前に判断できないのか?
なんで「やっぱり」なのか??
徒労を命じるのは「刑罰」です。

A効果があるかどうか不明な衣裳や小道具を作らせる
舞台公演では観客と舞台の間の距離は結構あります。
映像ではアップもあって細かいところまで見えますが、舞台では、あまり細かいところは見えません。
だから舞台で使う「物(小道具)」は現実の物より少し大きめに作るのが原則です。また「現実の物」より、そのように「作った物」のほうが効果的な場合が多いのです。
なのに演出先生は演劇であるにもかかわらず「本物」を要求する。値段の問題ではなく「効果」の問題です。
舞台と映像は違います。

衣裳もそうです。
例えば「小紋」の着物などは舞台では「無地」に見えてしまうことがあります。だから例え「小紋」と言えど、「客席から見て小紋に見える着物」にするのが妥当でしょう。
衣裳も常に「客席から見てどうなのか」を考えるのが演出の仕事です。もし、演出にそれがわからないのなら衣裳担当スタッフにお任せしたほうが安全です。ところが演出先生は自分のことを「全能の神」と勘違いしているのか専門家の提言を認めない。

B説明的な効果音を多く求める
これに当たった音響担当や効果マンは大変です(笑)
ラジオドラマで多くあるのが「足音」の要求です。素人の脚本や演出では「SE 足音」というのが多い。
でも、ちょっと考えてみてください。私たちは日常生活でどれだけ「他人の足音」を意識的に聴いているでしょうか?
視覚障害者であればともかく、健常者はそれほど意識していないでしょう?
別に「足音のSEをつけるな」ということではありませんが、必要以上に「足音」をつけるとウルサくてしょうがない。
効果音はまさに「効果」的でないといけません。
これは音楽でもそうです。

昔、ある放送局のラジオドラマで効果音を担当したとき「蝶の羽音」を演出から求められてウンザリしたことがあります(笑)
一応は作りましたけど本番ではカットされていました。

C理由を言わずに、やり直しを要求する

これはナレーションでも多いです!
「はい、もう一回やってみよう〜」というやつです。
「噛んだ」とかアクセントを間違ったというのはナレーター自身もわかっていることが多いので、それはもちろんリテイク要求に応えます。
しかし、どこに問題があったか言わずに、あるいは「どこが問題だったかもわからない」演出の要求に応えるのは容易ではありません。
仕事では時間が求められます。
いくら時間をかけても良いということではないのですから、お互い「プロ」として問題点を共有することが大切です。

最近のCMで「ぬいぐるみ」の演出が俳優に「言い方チガウ〜」と言っているのがあります。
「アホ演出」というのはああいうのです(笑)

Dやはり理由のわからない演技表現や動きを求める
俳優に表現を求めるのは演出の仕事のひとつでしょう。
中にはすぐに意図のわからない演出もあります。もしそれが俳優に対する、あるいはスタッフに対する「教育」ならば良いかも知れません。
しかし、「教育」はそれなりの知見と体験と配慮のある人がすべきものです。
たまたま手に入れた立場(演出)にあぐらを掻いて「理不尽」(理由を尽くさない)をやっていいものではありません。
出演者やスタッフはもちろん、最終的には観客にもその「理由」が理解される表現を要求しないといけません

以上、私が多くの演出家先生に接してきて感じた疑問です。
ほかにもいっぱいあるのですが、今回はこれにて…





ラベル:無駄  演出
posted by 塾長 at 22:53| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

誠に〜遺憾に〜ソンじ〜ます〜

コカインという違法薬物の使用で某タレントが逮捕されたそうです。
幻覚などを引き起こす有害な薬物と言うのは依存性が高くてよろしくないそうですね。
まあ、人間と言うのは弱い生き物で何かに依存したくなることもあるでしょう。
かくいう私などもアルコールとニコチンにイソン……あれ? イゾン……あれれ?…どっちやったかな…?

さて、ここで問題です。
「存」という字は「ソン」とも「ゾン」とも読みますね?
皆さんは次の「存」をどう読まれますか?

依存
異存
共存
存在
存念
現存
残存



私は上から…
ソン
ゾン
キョウソン
ソンザイ
ゾンネン
ゲンソン
ザンソン


問題になるのは最初の「依存」ではないでしょうか?
今回のニュースでもよく出てくる言葉ですね。
私もナレーション時にこの「依存」を読むことがあります。

また「世界との共存共栄を願いながら…」などというフレーズを読むことがあります。
私はこの場合もちろん「キョウソンキョウエイ」と読みます。
ところが某社のナレーションでは、この場合「キョウゾンキョウエイ」と読まないと、即時スポンサーに激怒されます(笑)
「違う違う! 間違いだよ! キョウゾンだよ! 何やってんだよ!」
という具合です。
調べてみると、その会社の創業者が「そう読んでいた」らしいのです。
社員の皆さんは創業者を尊重して「これはキョウゾンだ! うん、ゾンだよ!」と言う風に決めたのでしょうね。

でも、やはり元々というか、正しくは「キョウソン」だったことでしょう。
今は局のアナウンサーや国語の教師でも「キョウゾン」と読む人がいることでしょう。

漢字の読み方、書き方(文字)、そして意味やアクセントも時とともに変化していきます。
「言葉は生き物だ」というのはそういう事実を指しているのでしょうね。

でも、後発の事実をもって「お前は間違っている!」と決めつけるのはやめてくれないかなぁ〜。



posted by 塾長 at 23:49| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月06日

やれるからやる

「やれるんだからやっていいじゃないか」という考え方が巷間に広まってしまった感があります。

人によっては「自分は何だってやれるんだから」と勘違いした立場の人が、「自分は、やっていい」と自らの正当性を臆面もなく表明する人もいます。
「物事を決められない組織はダメだ」と言って「決められる組織にする」と声高に言う人もいます。
そりゃ多くの意見や都合を聴いていたら決めたいことでも決められないことはあるでしょう(笑)
でも、それこそが民主主義というものの宿命であり、長所であり、同時に欠点でもあるのでしょう。
すなわち「決められる組織にする」という人の本音は「自分だけで決める」ということなのかも知れません。
そりゃ他人の意見を聞かずにいられるのだから自分ひとりで決められますわね(笑)
こういうのを「独裁」と呼びませんか?
この国では今や「独裁者」が多くいます。
親が子を殺すのもそれではないでしょうか?

でも、「やれるけどやっちゃいけない」という心のほうが大事なようにも思います。
この国はいつの間にか「それはやっちゃいけない」という誇りや恥の心が失われてしまったように思います。
「美しい国」の定義は何なのでしょうか?

やれるけどやっちゃいけないことを心に刻む
やれないかも知れないけれど他者の幸せのためにやらねばならないことがある
やりたいけれどやっていいのかどうか自らの良心に問う

以上のことは「仕事」でも言えるのではないかと私は思っています。
俳優や声優の仕事でもこれは言えると思います。

やりたい(欲求)
やれる(技術)
やらねばならない(責任)

プロの俳優や声優にとっての優先順位で言えば【欲求<技術<責任】ではないかと思います。
つまり「プロ」にとって最も大切なものは「責任」だというのが私の主張です。
この国はあまりに「責任」を軽んじる国になってはいないでしょうか?

まあ、「ミミズの戯言」ですが…
posted by 塾長 at 00:24| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

ちょっと譲ると…

昔、私がファンだった野球チーム(仮にTとしておきます)が日本シリーズに出場しました。
相手のチームは仮にLとしておきます。
当時のTは同じ監督で前々年にも優勝しており、ひいき目ながら強いチームだという印象を持っていました。

さて、日本シリ−ズ前には監督同士の打ち合わせみたいなものがあります。
主にルールの部分でのすり合わせのためでしょう。

するとLの監督がTの監督に提案したのです。
「互いに予告先発をしませんか? うちのリーグではやっていますよ」
当時、Tの所属するリーグでは予告先発はなかったのですが、Tの監督は余裕があったのかその提案を了承したのです。

私はそのニュースを見て「まずいぞ!」と思いました。
先発投手を事前に明かし合うことはどうでもいいのですが、Tの監督が「相手の言い分を丸呑みにする」ということに危機感を持ったのです。
つまりまず初手から「相手にコントロールされている」ということになるのが問題なのです。

これが原因ではないでしょうけれど、シリーズでTはLに完敗しました。

何事によらず「それくらいならいいじゃないか」と相手に譲ることはよくあります。
ただ、その先に何が起こるかは常に考え、想像しておかないといけません。
ささいな譲歩はやがて取り返しのつかない事態につながる可能性があるということです。
posted by 塾長 at 12:53| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

プロとアマ

どんな業界にも「プロフェショナル」「アマチュア」がいます。
仄聞したところシャーロック・ホームズは捜査の「アマチュア」だそうですね?
なんでも本業は不動産屋さんだとか?
でも、推理に関してはプロフェショナルである警官より凄腕なんですね。
南方熊楠によれば「イギリスではアマチュアが評価される」とのことです。

確かに私のいる業界でも、ナレーションや吹き替えや演技に関して「抜群にうまいアマチュア」はいます。いやいや、私なんか足元にも及ばないくらいウマイ人がいるのは事実です。
ただ、その人にとっての優先順位が問題なのです…。

テレビCMやドラマなどに出演している子役と言うのは「プロフェショナル」です。
子供には学校や塾がありますが、テレビ、ドラマ、映画というのはそんな時間はお構いなしにスケジュールが組まれます。それはわざとではなく、ほかの出演者その他の様々な都合を勘案した結果なのです。
だから子役は、たとえその仕事の時間が学校時であっても塾の時間であってもそれを後回しにして「出演」を優先させます。これがこの業界のプロなのです。ですからよほどの事情が無い限り、この業界では「子供と言えどもプロを起用する」ということになります。
なぜならアマチュアは「出演」より優先順位の高いもの(授業や塾や習い事)があって、いざというときにそれらを優先させてしまう可能性があるからです。
この業界では「アマチュアを起用する」というのは相当な冒険です。
なぜなら、いざ本番というときに「すみませ〜ん、行けなくなったんです〜」と言いかねないからです(笑)
むかし、ある専門学校で指導していた時、できるだけこの業界を体験させてやろうと思って専門学校生に出演する機会を成立させたことがありました。(もちろんギャラつきで…)
ところが収録当日に現場に来ていないという連絡がありました。
学校を通じて本人に連絡してもらうと、その電話で「いま起きた〜」とのこと(汗)

あわてて現場に直行し、スタッフや制作に頭を下げて回りました。
しかし、現場では私に怒りをぶつけたりはしません。そこは「プロ」ですね〜〜〜。
その代わり、その制作会社からの仕事は来なくなりましたwww。

また先日、ある人にアテレコ(吹き替え)の仕事が発注されたので動きました。
その人にはあるアニメ作品に出演してもらったのです。そこでまた同じ役で出演依頼があったのです。
「ヤバイな〜〜〜」
と思いながら連絡がやっと取れてみると、思いのほか本人も喜んで「ぜひ出演したい」とのご返事です。これにはホッとしましたが、「別な仕事をやっていて出演できるかどうかわからない」というではありませんか。そこでスケジュールの調整をお願いしました。すると…
「なんとか収録日には休みが取れると思う」「きっと大丈夫だが100%ではない」
というご返事です。
これには困りました…
「思う」「100%ではない」という返事にOKは出せないのです…(涙)

結局、同じ役で発注してくださった制作会社にはお詫びを申し、声優本人にもお詫びを言って、別な声優を提案することにしました。
幸い、この第2の声優のスケジュールが確定できたので事なきを得ました。

これからプロの俳優、声優、ナレーターになろうとする人に申し上げたい。
ほかの仕事と同じく、この業界でも

「技術はともかく、責任を持って仕事に取り組める人がプロなのです」

学校の授業を休んだり、レッスンを休むような人はアマチュアですな(笑)

posted by 塾長 at 18:25| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

8月15日

ネット上でのいろいろな発言を見ます。
「憲法9条を守れ!」
「平和ボケの9条信者www」
「こどもや民間人を戦争に行かせるな!」
「日本には自衛隊という精鋭戦闘組織があるんだから民間人なんて足手まとい! 徴兵制なんてあるはずないwww」
etc,etc,

確かに「あの戦争」で多くの命が失われました。
このことは右も左も、戦争ロマンチストも戦争アレルギーも異論はないでしょう。
それを踏まえてですが、「憲法9条を守れ」という意見に対して「平和ボケと一笑に付する人々も平和ボケ」ではないかと思うのです。
なぜなら戦争はイデオロギーのみならず、「人間という存在」および「人間性という精神」をズタズタにするものだからです。
私と言うクソジジイを含め、本当の戦争を知らない人が多くを占めるようになったこの国です。
しかし、ちょっと想像力を働かせれば、また歴史を振り返れば、戦争がどういうものかわかるのではないでしょうか?

「戦争に行かせるな」という意見に対して「足手まとい」「徴兵制なんかあり得ない」という意見もあるようですが、「自衛隊員でない人は戦争に無関係」でいられるでしょうか?
戦闘訓練をしていない民間人には「今と変わらぬ平和な生活」が保証されるのでしょうか?
これも想像力を働かせられればわかることではないでしょうか?

年金制度でもそうでしょう?
「年金がもらえないようなので払わない」という人に対して「年金制度はなくならない」と断言する人もいます。
私も「年金制度はなくならない、破たんなどしない」と思います。だって、「絶対にこれだけ払う」という確約なんぞないんですから、仮に「1か月10円支給」になっても、それは「年金」ではあります(笑)
仮に「確約」があっても、ときの政権が反故にできるシステムを、そのときの政権自身が決められるシステムも作ろうとするでしょう。
支給年齢規定に関しても、どんどんと上がっています。60歳だったのが65歳になり、70歳に延びる可能性もあります。いや、きっともっと先送りされるでしょう。「そのほうがトクですよ」などというまやかしで…。
つまるところ「死ぬまで働け」という考え方になっています。それを決めたのは老後に金の心配をする必要のない「議●年金」のある皆さんです(笑)
こんな風に「小さなことからコツコツ」と、国民は辛い生活を死ぬまで送ることになる国のシステムになるかも知れないのです。
「小さなこと」を見逃さない意識が必要です。
これは私たちの日常生活にも言えることだと思います。
「蟻の一穴」はとんでもない苦境を広きにわたって招く可能性を秘めているのです。

話を戻して、もちろん「有事」に備えている自衛隊員にも家族があり、友人があり、恋人もいるかも知れません。多くの自衛隊員は平和であることを望んでいるのだろうと思います。でも、事が起こった時には命をささげる覚悟を持っていらっしゃるだろうと思います。
その傍証として、災害に見舞われた国民のために働いてくださっています。おそらく多くの国民がその存在を認め、感謝しているのではないでしょうか?
きっと彼らの多くの本音は「戦争など起こってほしくない」「国民の財産と生命守る」ということではないでしょうか?
わかりませんけど(笑)

どこかの国のトップが言う「国民の生命と財産を守る責任」という美辞麗句ではなく、自衛隊員の多くは本心からそう思っているのではないかと思いたいクソジジイです。

この国には戦争ロマンチストがいます。そういう人がこの国の主導権を握るようにもなりました。
でも、そういう人たちこそ「戦争の実相を想像できない平和ボケ」なのだと思う私です。

「隣の国が攻めてきたらどうするんだ」という主張をし、「戦争できるように憲法を変えるんだ」と声高に言う人もいますね?
確かに戦争なんぞ起こったら大変です!
でも、戦争を仕掛けるのは「隣の国だけ」だと断言できるでしょうか?
ひょっとしたら、状況によって北の国もあれば西の国、南や東の国かも知れないでしょう?
それらが万一結託して極東の島国を我がものにしようとするかも知れません(笑)
逆に伺いたいのですが、「隣の国以外は侵略しにこない」と言い切れるものなのでしょうか?
そう言いきれる論理的、客観的な理由はあるのでしょうか?
バカなジジイですみませんが、わからんのです(笑)
「人生では何が起こるかわからない」というのが摂理ではないでしょうか?

8月15日…
あの戦争で失わされた多くの命に思いを馳せ…
戦争に勝つ努力ではなく、戦争を起こさない、あるいは起こさせない努力をせねばならんと思うクソジジイです。
posted by 塾長 at 00:10| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

いまさらですが…西野ジャパン…

素晴らしい戦いぶりだったのではないでしょうか?

まず、いろいろと物議を醸し出した1次リーグのポーランド戦ですが、やはり予選リーグを突破するためにはやむを得ない選択だったと思います。
もちろんセネガル対コロンビア戦の結果に左右されることを承知した上での選択でしょう。
これは大いなる「賭け」でしょう。(ちなみに「大いなる加計」ではないwww)

勝負事と言うのは多く「賭け」(ギャンブル)であることが多いでしょう。
運に左右されながらも、その瞬間ごとに最良の判断を下すことが求められます。競馬の予想などもそうですよね?
ところが、あんなギャンブルを選択した西野監督以下のベンチの判断に従った選手たち。
そこにある「信頼関係」は見事だったと思います。
(確かに「面白いサッカー」ではなかったけどwww)

さて、批判されながらも1次リーグを突破して世界ランク3位のベルギーに挑んだ世界ランク61位の西野ジャパン。
後半の途中まで2−0という大いなる結果を導き出しました。誰がこの経過を予想したでしょう?!
ベルギーのちょっとした隙を突いた原口選手の見事なシュート!
さらに香川選手と乾選手の絶妙なパスから生まれた、これまた無回転の素晴らしいシュート〜〜〜〜!!!

選手の皆さんも言っているように、この試合以外で生まれたどの得点も「チーム全員による得点」ではないでしょうか?

西野ジャパン…
様々な困難や批判にされされながらも、見事な闘いぶりを見せてくれました。
彼らの健闘に敬意を表するとともに、これからの日本サッカーに希望の芽を植えてくれたことに感謝したいと思います。
エライ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

(サッカーという競技が日本でまだ無名だったころのサッカー小僧より)

posted by 塾長 at 01:39| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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