最初の解釈でも述べましたが、兵助は親に連れられて、この靴屋に13歳の年に奉公に来たと思われます。
奉公と言うのは衣食住が約束されているだけで、給料が出るわけではありません。きっと兵助の実家は貧しくて、たとえ「差別を受けている」と思われる「靴屋」でも、奉公すれば手に職を付けられると兵助の親は考えたのでしょう。ですが、おそらく親は、兵助を奉公に出さずに済ませたいと思っていたことでしょう。苦渋の決断であったろうと推測します。おそらく奉公させるために兵助を靴屋に連れて来たとき、兵助の着物や常備薬などを持たせたことでしょう。(転じて、兵助の「靴」のケースでは、「靴ずみ」「ブラシ」「釘」がそれに当たります)
また兵助の親は靴屋の親方に「この子を大事にして可愛がってやってください」とも言ったかも知れません。逆に親方は「旅人」のように「この子をどんなふうに使おうとこっちの勝手だ」と言ったのかも知れません。
しかし、この親方のような当時の「職人」が、親切かつ、靴作りの技術を効率的に教える能力を持っていたとは思えません。おそらく兵助は見よう見まねで靴作りを学んだのだと思います。きっと相当な苦労があったでしょう。靴屋の親方にひどい扱いを受けたかも知れませんね。
余談ですが、私の知り合いに「長唄囃子方」(ながうたはやしかた)をやっている人がいました。日本舞踊などで鼓を打ったり、太鼓を叩くのがその仕事です。その人は昭和30年ごろ(1955年ごろ)に、兵助同様に「口減らし」のため、囃子方のお師匠さんの家に内弟子として親に入門させられました。いわゆる「住み込み」で鼓の打ち方や。太鼓の叩き方を教えてもらうわけですが、師匠の家の家事全般を受け持つのが主とした仕事で、たまに稽古をつけてもらう程度だったと言います。
さて、その稽古での話です。ある時、太鼓の叩き方を教えてもらう日がありました。両手にバチを持って叩くのですが、叩き方を間違うと師匠から樫の木のバチ(樫は相当に固い木)で手首をしたたかに叩かれたそうです。叩かれた手首はしびれ、腫れ上がって、しばらくはバチも持てないほどだったと言います。
兵助の物語の時代から25年も経っていても、いわゆる「師弟間での指導」というのはそういう非効率かつ非科学的な指導だったようです。
兵助も親方から、何かの失敗をしてしまった時には靴の底の釘を打つカナヅチで手首を叩かれたのかも知れませんね。
兵助は奉公に来たとき、淋しくて、心細くて、悲しくて親を恨んだかも知れませんね。ですが、そんな兵助が「自分の靴」を旅人に売った後、きっと「あの時の親の気持ち」が理解できたのではないかと思います。
題名が「買われていった」ではなく「売られていった」ということ。すなわち「買う」のは旅人であり、「売る」のは兵助です。靴(子供)は「兵助に売られた」ということになります。これまでの想像を踏まえると、兵助(子供)は親に「売られた」のかも知れないと思うのです。考えすぎかも知れませんが…。
朗読をするにあたっては聴き手や登場人物(兵助、旅人)の心情と具体的な行為を想像しないといけません。そしてその想像を裏付けるものが、本文中の様々な言葉について調べ、考えを広げることが重要なのだろうと思います。
このブログでお話ししたことが少しでも「朗読者を志す人」の参考になっておれば幸いです。
それにしても、新美南吉という人は「優しい人」なのだとつくづく思います。
【関連する記事】
- 「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その6〜
- 「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その5〜
- 「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その4〜
- 「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その3〜
- 「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その2〜
- 「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その1〜
- アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その4
- アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その3
- アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その2
- アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その1
- 夏目漱石「夢十夜」第三夜
- バリエーション…言い方ではなく…
- ミヤモトムサシ外伝(げでん) その六から十まで…
- ミヤモトムサシ外伝(げでん) その五……その後…
- ミヤモトムサシ外伝(げでん) その四
- ミヤモトムサシ外伝(げでん) その三
- ミヤモトムサシ外伝(げでん) その二
- ミヤモトムサシ外伝(げでん) その一
- 夏目漱石「夢十夜」第三夜
- ボイス系講座 「朗読」 第5回(最終回)