旅人を追いかけるのは2回目です。聴き手はおそらく「次はどんなお願いをするのか」とその具体的な内容に興味を持つことでしょう。
「また」は意味音声(強調)にしたほうが良いと思います。具体的にはやはり「また」の音程を上げるということです。
「もしもし、その靴(くつ)、だいじにはいてやってください。」
兵助は具体的なお願いをせず、あるいは「できずに」、靴が「買われた」ときに言った言葉を再度繰り返しました。つまり「だいじに」してもらうことが兵助にとって最優先だったということがわかります。
しかし、この発言の前に「おもいだしたように」とありますから、ひょっとするとその時の兵助には「何か具体的なことを旅人にお願いしなければならない」という思いがあったのかも知れません。
でも結局、具体的な内容ではなく「靴を思う気持ち」だけを述べます。やはり「子供を思う親の気持ち」に共感してやることが朗読者には必要でしょう。
旅人(たびびと)はとうとうおこりだしてしまいました。
兵助のこれまでの意外な行動に驚かされ続けてきた旅人です。「(靴を)かあいがれ」「靴ずみとブラシで手入れをしろ」「底が抜けたらクギで補修しろ」そしてまた「かあいがれ」という兵助への「いらだち(いらだつ)」という内的動詞が次のセリフに反映されるべきでしょう。
兵助の靴(=子供)に対する思いが空回りしたのだと言えるでしょう。それほど兵助は自分の作った靴がいとおしくてたまらないのでしょう。
「うるさいこぞうだね、この靴(くつ)をどんなふうにはこうとわたしのかってだ。」
先述しましたが、兵助の言動への「いらだち」が表現されるべきでしょう。ただ、どこまで「苛立つ」「怒る」のかは朗読者の個性によって変わると思います。また解釈上では、すでに「靴=(兵助の)子供」という認識はされています。つまり「この子供をどう扱うかは私(旅人)の自由だ」という意味になります。
「靴を買った旅人=客=権利を持つ者=権力者」という構図ですね。
この意識は今も変わらないと思います。この一言で兵助は無力感にさいなまれたことでしょう。かわいそうです…。
余談ですが、私も若い人たちを指導する立場なので、つい「権力」を振り回していることがあるかも知れません。確かに昔は「思いっきり権力を振りかざして」いたように思います(笑)
今から思えば許されないことだったと思います。
でも、歳をとった今では「自分は無能な人間だ」と自分に言い聞かせられるようにもなりました。
お陰で、良くも悪くも腹を立てることはなくなりました(笑)
人間は「今ここにあること」と「他者に生かされていること」への感謝だけをしておれば良いのだと思います。
さあ、兵助はどうするのでしょうか……
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