2018年8月からしばらく閉講します。 また年度変わりに受講生を募集してみます。

小学校低学年から大人まで、年齢も性別も分野も幅広く習うなら「まふじ演技スタジオ」へ!

まふじ演技スタジオ連絡先.jpg ←まふじ演技スタジオへのお問い合わせ

2021年01月06日

「売られていった靴」を朗読するためのヒント 〜その2〜

さて、今回から本文の解釈と表現の私的ヒントを述べてまいりますが、参考として「新美南吉記念館」のHPを紹介しておきます。
申し訳ないことに私は伺ったことがありません(笑)
いつか訪いたいものです。

さあ、解釈を始めてまいりましょう。
----------------------------------------------------


売られていった靴   新美南吉


 後に解説しますが、このタイトルは大きな意味を含んでいると思われます。「売られて」「いった」「靴」それぞれに意味があります。もちろん聴き手にはこの時点で、そういう「意味」は理解できるはずもないのですが、朗読者は全体を解釈した上で、このタイトルの意味を理解して読まないといけないでしょう。

靴屋(くつや)のこぞう、兵助(へいすけ)が、はじめていっそくの靴(くつ)をつくりました。

検討すべき単語で一文が構成されています。
「靴屋」「こぞう」「兵助(という名前)」「はじめて」「つく(った)」です。

まず「靴屋」についてです。
靴は、この時代では言うまでもなく「皮革」で作られています。
現在、「靴職人」と言えば創造性と技術を併せ持ったアーティストとして認められていますが、昔の日本では「皮を扱う人」というのはいわれなき差別を受けていた人が多いと思われます。
「こぞう」と書かれていますから「兵助」はこの靴屋の家族ではなく、奉公人でしょう。「奉公人」というのは俸給(給料)を約束されているのではなく、仕事をする対価としては衣食住が保証されているにすぎません。
おそらく兵助の親が子供の兵助を「口減らし」としてこの靴屋に奉公させたのではないかと思うのです。あくまで憶測にすぎませんが…。
兵助の実家は貧しいのだろうと推測されます。なぜなら「差別をうけていたであろうところでも奉公させなければならない」ということからその貧窮ぶりが覗えるからです。我が子である兵助も、ひょっとすると「被差別者」になる可能性もあるのですからね。これも憶測ですが…。

さて、現代では靴の専門学校もあるそうですが、そういうところで技術教育を受けても「いっそくの靴」を作れるようになるまで三年ほどかかるそうです。すなわち「はじめてつくる」には少なくとも(親切丁寧な技術指導を受けていても)3年以上かかるということです。この靴屋の親方がそのような「親切丁寧な指導」を兵助に施したとは思えません。
兵助は言われるままの仕事を黙々とこなしつつ、見よう見まねで靴作りを学んだのではないでしょうか。苦労が偲ばれます。
ちなみに当時の義務教育は現在の小学校卒業までですから、おそらく兵助は13歳になる年に奉公に来たのだろうと思われます。だから、いくら早くとも兵助が靴を作れたのは、兵助が16歳を迎える年以降だと考えられます。

南吉は昭和6年(南吉18歳)にこの物語が含まれた「ごん狐(権狐)」の草稿を書いているよう(新美南吉記念館HPより)ですが、このころ日本は満州事変を始め、戦争に向かう道を歩み始めています。そういう時代背景から「兵助」という名前になっているのでしょう。人名は時代を映します。

-----------------------------------------------------
のっけから長い説明をしてしまいました
なにしろまだ題名を含めて2行しか進んでいません(笑)
しかし、説明を読むだけでも大変だと思いますので、こんなペースで進めて行くことにします。
たぶん読んでいらっしゃるかたはいないと思うのですが、こんな私見でもいつかどこかで誰かの役に立つこともあるかも知れませんのでね?

次回は3行目からです(笑)







posted by 塾長 at 02:43| Comment(0) | 朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

✨心温まるクリスマス・メルヘンです🎄 forkN用タイトルのコピー.jpg
ご購入はこちら(Amazon.co.jp)!!