同時にややこしいのが「ナレーション」と「朗読」の境目です。
まず「素材(原稿)」の違いに着目してみました。
「朗読」と言えるのは「文芸作品」(小説、詩、俳句、短歌、書簡など)などの「心情表現」が中心となるものではないでしょうか?
それに対して「ナレーション」で扱う内容は「客観的事実」に基づく内容が中心だと思うのです。
ただし、それらを「音声表現」する際には、「朗読なのだから情感たっぷりに」とか、「ナレーションは感情抜きで」などと考える必要はないと思います。
しかし、次の要素を加えると若干事情が異なってくるかも知れません。それは…「映像の有無」です。
ご存じでしょうが、「映像」の持つ情報量は相当なものです。想像などしなくても「見れば」わかります。
つまり「映像は雄弁」なのです。これは朗読パフォーマンスなどで時折見られる「ピクチャードラマ」(紙芝居)でも同様です。
そうなると、たとえばテレビなどの映像に音声コメントを付す場合は、その映像の持つ情報量とのバランスで、あまり感情過多に読むと「うるさく」なりがちです。バラエティ番組などのナレーションのうるささはそこにあるのかも知れません。
バラエティ番組の味付けの濃さをさらに煽るような、ナレーションというよりはアジテーションに近いものもあります。
「映像ナレーション」はその映像の補佐的な表現に留めるのが一般的だと言えるでしょう。
その結果、無感情ではありませんが、アナウンスにやや近くなることが多いように思います。
しかし、やはり内容によって、そして部分によって、やや主観的な「心情」を表現する場合があります。
ナレーターはその客観と主観のバランスを場面ごとにコントロールできるほうがいいと思います。
「ナレーション」を「語り」と呼ぶこともありますね。
これまたややこしい!
ひょっとすると「語り」というのはやや「主観的なナレーション」を指すのかも知れませんね(笑)
次は「朗読」について私見を述べることにします。
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