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2015年03月29日

体験講座受講生「T・S」さんから頂戴した感想

※一部割愛および編集しています。
実は、朗読における感情表現(感情の表出方法?)について、どう考えればよいのかという疑問を持ち続けているのですが、よくわからないために、投げ出したままになっております。

数年前、ある朗読のレッスンを受けていましたが、初回に講師が「俳優の朗読は、朗読とは言えない。俳優が朗読すると、感情をマックスにして表現するので、聴き手の想像する余地を奪ってしまうことになる」というようなことをおっしゃいました。
その言葉を聞いたとき、三十数年前に受けていた朗読のレッスンを思い出しました。
ある有名俳優さん(故人)のもとで朗読を学ばれた方に教えていただいていたのですが、「はい、立って、手をこうして……」と振り付けまでされ、「大きな声で! もっと大きく!」と舞台でセリフを言うのに近いような表現をするよう指導されました。
「これでは、朗読の域を超えていて、演劇表現になるのではないか?」と思いました。
対極にある、某アナウンス系のレッスンでは、文中のセリフにさえ、「できるだけ感情を表わさずに読むように」と指導されました。
しかし、その方法では、どうしても朗読表現として成立しない(?)ような作品もあるのではないかと思います。

私が朗読したいと思っている小説は独白体でセリフもありますので、そういう作品の場合、感情を表さずに朗読するのは不可能に近いのではないかと思うのです。
けれども、独白体だからと言って、セリフ以外の文章にまで感情を入れ過ぎるのは、どうなのでしょうか?
感情過多にならず、かと言って、淡々とし過ぎずに朗読するのは難しそうです。

先生のブログには、「情感たっぷりというのではなく、思い描いた情景への思い入れをいかにコントロールするかがポイント」というようにお書きになっていましたが、「情感」と「感情」とは、似ているようでも微妙に違いますよね。

以前、あるAM局の朗読番組を聴いていたときのことです。
小説のラストシーン近くの、主人公の女性が感きわまって泣くという感動的な場面で、アナウンサーさんは、文章を読むのと同じように、その泣き声を淡々と「ああっ、ああっ」と読まれたのです(そう聞こえました)。
これは、どう考えればよいものかと思いました。
その女性アナウンサーさんと作品が合っていなかっただけなのかもしれませんし、アナウンサー向けの作品ではなかったのかもしれません。
あるいは、そういう朗読のスタイル(?)があるのかもしれません。

作品のタイプやジャンルなどによって、それぞれに応じた朗読の仕方があるのかもしれないとも思いますが、いかがお考えになりますでしょうか?

それから、「感情表現」という言葉を用いましたが、先生からいただいた資料にお書きになっている「心情表現」と「情景・心象表現」と、それぞれがどう違うのかは、わかっておりません。

あらためて、朗読とは難しくて奥の深いものだと思わずにはいられませんでした

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T・S様

詳細な感想というか、疑問を送ってくださりありがとうございます。
まずいわゆる「質問」に相当すると思われる部分について私見を述べようと思います。

作品のタイプやジャンルなどによって、それぞれに応じた朗読の仕方があるのかもしれないとも思いますが、いかがお考えになりますでしょうか?


このことについては結局は「演出」でしょう。
セリフや地の文にどれほど情感を込めるか(あるいは込めないか)というのは、朗読の場合はリスナーの代理である演出(客観)の役割だと思います。
「俳優の朗読は朗読とは言えない」とおっしゃった講師にも、そして、まるで演技のように「振付け」をする講師にも「朗読とはこうあるべきもの」という固定観念があるのかも知れません。まあ、だいたい世間はそうです(笑)
「朗読の仕方」などはないでしょう。ついでに言うと「演技の仕方」もないというのが私の考えです。
要するにリスナー(聴衆)や、観客が「楽しい、面白い」と感じる表現を目指したら良いのだと思います。

最近、「表現」に関して、ある例えをよく用いています。
それは看護や介護の現場がその例えになるのですが、家族間の看護や介護というのはどうしても「思い入れ」(主観)が強くなりがちでしょう。そういう「思い入れ」は親族として当然のことなのでしょうけれど、その結果、「やらなければいけないこと」ができなかったり、あるいは「やってはいけないこと」をやってしまったりということが起こります。
例えば、痰などの吸引は、される本人にとっては大変辛いことでしょう。しかし、だからと言ってそのままにしておくと呼吸不全を起こしてしまいかねません。「本人が嫌がるし、自分も辛いから」と言ってそのままにしておくと却って悪い状態に陥る可能性もあるということです。
「歩くのがしんどそうだからいつもベッドに寝かせたままにしている」と、本当に立つこともままならなくなるかも知れません。
もちろん「無理」をさせてはいけないのですが、本人の体調の現状をちゃんと把握して「やらなければならないこと」と「やってはいけないこと」の見極めは重要です。
そのためにはいい意味での「客観性」が必要です。同時に「思いやり」という「主観性」も必要でしょう。
看護師さんたちの行為を見ていると、常にこの「主観性」と「客観性」のバランスを揺れ動かしているのを感じます。いい意味での「他人事」でないと介護や看護は出来ないでしょうね。

「朗読」を始め、「表現」には、この主観と客観が適切な形で常に揺れ動いていることが大切なのだろうと思います。

このたびは当塾の体験講座を受講してくださりありがとうございました!!



posted by 塾長 at 00:23| Comment(1) | レッスン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご回答いただき、ありがとうございました。とても勉強になりました。
「表現」には主観と客観が適切な形で常に揺れ動いていることが大切なのだろうというお言葉、心に刻みつけたいと思います。
そう言えば、演技をするうえでも、客観性と主観性の両方が必要だと聞いたことがあるような気がします。
「適切な形で常に揺れ動いていること」は難しそうですが、これからの課題としたいと存じます。
Posted by T. S. at 2015年03月29日 04:32
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