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2020年12月31日

アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その3

さて、こう考えていくと「朗読」というのは元来「音声のみの情景・心象表現」だと言えるような気がします。
つまり「素材(原稿)」の違い、プラス「映像(画像)の有無」で「朗読とナレーションの違い」がある程度、理解されるのではないでしょうか?

仮に「朗読」が「映像や画像なしで、音声のみで情景や心象を表現する」と考えるならば、提供すべき情報量は「音声」しかないわけですから、あまり速い読みだと聴き手に「情報(情景、状況、人物、心理、行動、地名、人名など)」が理解されない可能性があります。つまり、頼るべき情報が「音」と「声」しかない、ということです。
そういうことを踏まえると、やはり読みのスピードは原則的に速くないほうがいいでしょう。特に、読み始めはかなりゆっくりのほうがいいと思います。なぜなら、聴き手は「これから何を語られるのかわかっていない」というのが原則だからです。
ただし、「ゆっくり読む」というのは、ただ単に「物理的にゆっくり」なのではなく、聴き手が場面を思い描く時間を考慮して読むということです。

単純に時間という物理的側面で言うと、だいたいニュースなどの原稿の読みは400字詰め原稿を60秒〜70秒程度で読むというのがスタンダードな速さなのですが、朗読の場合は「聴き手が場面を思い描く時間」を含めて1.5倍くらい、つまり原稿用紙1枚を90〜105秒くらいの速さで読むことになります。
芥川龍之介の「羅生門」の冒頭を参考にしてみましょう。句読点を含んで210文字くらいの文章です。原稿用紙半分強です。「冒頭」ですから聴き手には何の情報もないことを考慮しないといけません。

 ある日の暮方(くれがた)の事である。一人の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下で雨(あま)やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗(にぬり)の剥(は)げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風(つじかぜ)とか火事とか饑饉とか云う災(わざわい)がつづいて起った。

以上の文章を35〜40秒くらいで読むと「ニュース」の速さになります。
だから「朗読」的な速さというのは53秒から60秒くらいということですね。
いちど、ストップウォッチを手にトライしてみてください。

ただ、朗読でも物語の展開が進んで「すでに聴き手に理解されている情報である」と判断される頃には、少し速い読みになってもいいと思います。読みのピッチはそのような「聴き手の理解度」や「描写される場面」(スピード感が必要なシーン)によっても変わってきます。

むずかしい説明になってしまいました。
この「朗読」についての解説は続けることにします。
posted by 塾長 at 00:37| Comment(0) | 朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月29日

アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その2

今回は「ナレーションとは?」ということについての私見です。

同時にややこしいのが「ナレーション」と「朗読」の境目です。
まず「素材(原稿)」の違いに着目してみました。
「朗読」と言えるのは「文芸作品」(小説、詩、俳句、短歌、書簡など)などの「心情表現」が中心となるものではないでしょうか? 
それに対して「ナレーション」で扱う内容は「客観的事実」に基づく内容が中心だと思うのです。
ただし、それらを「音声表現」する際には、「朗読なのだから情感たっぷりに」とか、「ナレーションは感情抜きで」などと考える必要はないと思います。
しかし、次の要素を加えると若干事情が異なってくるかも知れません。それは…「映像の有無」です。

ご存じでしょうが、「映像」の持つ情報量は相当なものです。想像などしなくても「見れば」わかります。
つまり「映像は雄弁」なのです。これは朗読パフォーマンスなどで時折見られる「ピクチャードラマ」(紙芝居)でも同様です。
そうなると、たとえばテレビなどの映像に音声コメントを付す場合は、その映像の持つ情報量とのバランスで、あまり感情過多に読むと「うるさく」なりがちです。バラエティ番組などのナレーションのうるささはそこにあるのかも知れません。
バラエティ番組の味付けの濃さをさらに煽るような、ナレーションというよりはアジテーションに近いものもあります。

「映像ナレーション」はその映像の補佐的な表現に留めるのが一般的だと言えるでしょう。
その結果、無感情ではありませんが、アナウンスにやや近くなることが多いように思います。
しかし、やはり内容によって、そして部分によって、やや主観的な「心情」を表現する場合があります。
ナレーターはその客観と主観のバランスを場面ごとにコントロールできるほうがいいと思います。

「ナレーション」を「語り」と呼ぶこともありますね。
これまたややこしい!
ひょっとすると「語り」というのはやや「主観的なナレーション」を指すのかも知れませんね(笑)

次は「朗読」について私見を述べることにします。


posted by 塾長 at 01:20| Comment(0) | 朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月26日

アナウンス・ナレーション・朗読の違い……って? その1

朗読とナレーションとアナウンス…それぞれ「定義」がむずかしい…
な〜んとなく「それは朗読というよりナレーションだね〜」というような判断はあるのでしょうけれど、いまひとつよくわかりません。
辞書で調べてもやはりピンと来ません。
日本語(朗読)と英語(ナレーション、アナウンスメント、リーディング)の違いくらいはわかりますけど…。

やっぱりある程度の「定義」をしたほうがパフォーマーにとっても演出者にとってもわかりやすいと思いますので、私なりの考えを述べておきます。

まず「アナウンス」からまいりましょう。

これは「音声のみで情報を伝える」というものでしょう。だから「情報を伝える」ための
●発音の明瞭さ
●適切かつ均等な声量
●理解されやすいアクセント(共通語)
●聴き取りやすいスピード

などの「技術的」な部分が多く占めると思います。
そこに発話者(アナウンサー)の思いや考えは不要ですね。
いわゆる「淡々と」「明瞭に」、すなわち客観的に読むことが大切です。
尤も、近年では、アナウンスもその内容によってある程度の「表現」が見られます。
例えば、大地震の際の津波の可能性が認められる場合にはアナウンサーも「危機を訴える表現」にするような方針になっているようです。

さて、次回は「ナレーション」について説明を試みます。



posted by 塾長 at 23:13| Comment(0) | 朗読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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