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2020年01月14日

演出や指導者に必要なもの 2〜客観性と想像力〜

演出は「演技指導者」である必要はありません。
いや、中途半端な演技しかできないなら、むしろ邪魔ですらあると思います。
なぜなら俳優の演技が自分の思っているものと違っていたら「見本」を見せてしまいがちだからです。こういうのは「踊る演出」と言います。
セリフの言い方を決めてしまったり(口伝)、動きを決めてしまったり(振付)というような演出です。

私も元来演技者なので、演出時につい「見本」をやってしまいそうになりますので、できるだけ我慢します(笑)
見本をやってしまうと俳優はその物まねをするだけで演技をしたことになります。これは俳優を「操り人形化」する演出です。絶対にやってはいけないと言っても過言ではないでしょう。

演出は「本番まで舞台を見ることが無い観客の代理」です。
その演技で観客に意味が伝わるか、その発声で観客に言葉が伝わるか、観客はこの場面で何を見たいか、などという「客観性」が必要です。文字通り「客が観る」のですからね。
演出だけが意味をわかっているというのではダメなのです。
ところが演出や俳優は「わかってしまっている」ことが多いので、つい「客観性」を失いがちです。
だから私は演出時には俳優はもちろん、さまざまなスタッフにも意見を求めます。

「このセリフで意味がわかるか」
「このシーンの意味が伝わるか」
「どこか意味不明なところはないか」
「そもそもこのシーンは面白いのかどうか」etc.

そのように他者に意見や感想を求めることで、俳優もスタッフも「人ごと」で済まなくなり、全員がその作品に主体的に取り組めるようになることが多いのです。

演出は神様でも芸術家でもなく、調整係であるべしというのが自論です。
(これは会社などでも言えることでしょうね)

さて、以上のことにも関係するのですが、演出や指導者は俳優やスタッフやレッスン生(学生など)の気持ちや事情に思いを致さなければいけないと思います。
自分のダメ出し(できればこの言葉をやめて「オーダー」とか「提案」とか「助言」「意見」がいいですね)がちゃんと俳優やスタッフに伝わっているかを考えないといけないということです。

「無理な注文をしていないか」
「無駄な努力をさせていないか」
「演出の指示に納得できているかどうか」
「何か困っていることはないか」etc.

いわゆる「想像力=思いやり」がリーダーたる演出担当には必要だろうと思います。
いくら有能でも、思いやり(想像力)のないリーダーではメンバーからの信頼を得られません。
(これも会社などで言えることですね)

〜つづく〜


posted by 塾長 at 14:25| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月05日

演出や指導者に必要なもの 1〜文章力〜

私はもともと「演出」をしたくて演劇の世界にやってきたのですが、未だに「演出」をやったことはそう多くはありません。

舞台演出:15回(作品)くらい
朗読劇演出:10回(作品)くらい
ラジオドラマ演出:(回数で言うのは難しいのですが)10回くらい
ラジオ番組演出:(これも回数で言うのは難しいのですが)20回くらい
上演台本執筆:5作品くらい

振り返ればむちゃくちゃ少ないですね(笑)

でも、幸いなことにいろいろ勉強させてもらいました。
「勉強」と言うのは、良いものに触れることも大切ですが、悪いものに触れることのほうが有益なように思う今日この頃です。劇団員時代から今までもそうでした。

「なんでこの演技はつまらないのだろう?」
「なんでこの演出者はこんなヘンなことを俳優にさせるのか?」
「この作品が面白くないのはなぜだろう」
「なぜ俳優に発声訓練とやらが必要なのだろう」

おっと! 世の「良い演出」や「面白い演技」も確かにありましたことは事実です(笑)

そんな経験を経て、「演出」や「指導」に関して思うことが多くあります。
それは、演出者や(演技の)指導者に必要な能力です。

何より「客観性(冷静さ)」および「想像力(思いやり)」
そして「論理」と「科学」と「知識」(この3つが一番重要かも…)
さらには「(良い作品を書ける、あるいは他人の作品を良いものに書き換えられる)文章力」(これも演出としては結構重要です)
付けくわえるなら「情熱」(思いやりの強いヤツ)
(「経験」は時として邪魔になります)

「芸術性」などという説明不能なものは演出や指導者には不要ですな(笑)

さて、これからそれぞれについて説明を試みましょう。

1回目、まずは「文章力」です。
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演劇はセリフという言語行動と、行為という身体行動の2つで構成されます
そこで、まずはセリフ(言語行動)に限って考察を述べます。

セリフを「音」という物理現象にのみ重きを置いてしまうと「発声」に意識が向いてしまいます。
しかし、いまどきの公演会場はよほどのことがない限り「声が小さくて聞こえない」ということはあまりないと思います。
ですから私は「発声訓練」の必要性をあまり感じないのです。
せいぜい出演者の声量を揃えるくらいの必要性を感じる程度です。
もちろんあまりに発音が悪い場合は個別に訓練が必要かも知れません。しかし、日常生活において不都合なく話せているのなら、これもわざわざ訓練しなくていいでしょう。
ただ、ラジオドラマでの演技となると、これは「音声」(セリフ)しかないのですから、ある程度の発音の明瞭さは必要だろうと思います。
それでも登場人物が皆、アナウンサーやナレーターみたいな発音だと不自然ですよね(笑)

次に身体行動についてです。
ビジュアル表現を伴う「演劇」においては、これはセリフより重要です。
言語表現を伴わないダンスやパントマイムでも、人物の身体表現だけでその内面に思い至ることができます。
また日常生活でも「言葉」は嘘をつけやすいのですが、「身体」はなかなか嘘をつけません。
「身体は正直」なのです。学校や職場に行くのがイヤだったら体調が悪くなります(笑)

さて、ここからが本論の「文章力」についてです。

日本の演劇とその演出、および俳優の指導においては、あまりに「セリフ」に重きを置き過ぎだと思うのです。
私たちは演劇やテレビドラマや映画を見ますが、どれくらい作中の「セリフ」を覚えていますか?
ほとんど覚えていないでしょう??

よく覚えている(印象に残っている)のは、登場人物が何を「した」かということだと思います。すなわち「行為」を覚えているのです。
物語の「あらすじ」を振り返ってみれば、それとわかるはずです。

ところが演出や指導でセリフに重きを置き過ぎると、つい「大きな問題」を忘れてしまいがちになるのです。
それは「漢語の多用」です。

漢語というのは「音読み」のことです。
例えば「セイコウタンサイノゼンヤ」ってわかりますか?
これは「聖降誕祭の前夜」です。文字を見てもわからないかも知れませんが、「クリスマスイブ」と言えば今やほとんどの日本人がわかるでしょう。
同じ「クリスマスキャロル」(チャールズ・ディケンズ)の中で「スクルージはメイセンも惜しむ」という一節がありました。

メイセン??

変換してみますと、私のPCでは「銘仙」(織物の一種)しか出てきませんでした。
ところが文章を見ますと「冥銭」とありますが、文字を見てすら一瞬で意味がわかるかどうか疑問です。
どうやら日本でいうところの「三途の川の渡し賃」みたいなものでしょうか?

おっと、ちょうどいいですね!
「スクルージワ、メイセンモオシム」と言うより「スクルージワ、サンズノカワノワタシチンモオシム」と言ったほうが分かりやすくはないですか?

このように「耳慣れない言葉」や「意味がすぐにわかりにくい漢語」をセリフで使わないように心がけることが必要です。
だから私は「小説を原文のまま朗読する」ということに抵抗があるのです。
ところが演出者や俳優や朗読者は「台本」「原稿」を持ち、意味もわかっています。だから気にならないのでしょう。
しかし、聴いてすぐに意味が理解されないであろう言葉、語句はできるだけ「和語」(訓読み)に書き換えたほうがオーディエンス(観客、聴衆)に親切です。

また劇作家が皆、優れたセリフを書いているとは限りません。
これは小説においてもです。

演劇やラジオドラマや映像など、それぞれの表現媒体にふさわしいように文章が書けないといけないと思います。
演出者たるものには「文章力」(国語力)が必要だと思います。

〜つづく〜






posted by 塾長 at 09:53| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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