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2019年08月08日

昔…こんな仕事があった… 2−3

SさんとOさんの出番収録は終わりました。
私の大阪弁指導もつつがなく終え、とくにSさんからは大変感謝してもらいました。
監督(名前はもうすっかり忘れた)も、SさんとOさんには最敬礼ならびに何度も頭を下げてお礼をおっしゃっていました。
ところが…SさんとOさんが現場をアップしてから、まあ〜〜〜その監督の偉そうなこと!!!(笑)

私を始め、在阪の出演者やスタッフには「おい、お前!」と呼ぶのがデフォルトでした(笑)

一般の会社などでもよくあることですが、「相手によって態度を変える」という人間はその成長過程に問題があるように思います。
きっと辛いことが多かったのでしょう。
それは理解できるのですが、やはりそういう人間は周囲から信頼を得るのはむずかしいでしょう。
類は友を呼ぶと言いますが、その時のスタッフもこの監督と似て、「他者を見下す」者が多かったように思います。

ロケは真冬で、かつ山の中です。
確かに作品の内容的からしても「降雪」「吹雪」がほしいのは理解できます。
当時はCGもありませんしね?

私や多くのエキストラ(子供たちが多かった)はロケバスに乗って、雪の降り積もった山中に到着しました。やや広場になったところで降ろされ、ロケバスはどこかに行ってしまいました。私はてっきり待機場所がどこかにあると思っていたのですが、撮影スタッフ(全員、防寒着を着用)はどこかに移動してしまいました。何度も撮影現場を体験している私は「エキストラカット(雪が積もっている風景など)を撮影に行ったな」と思いました。同時に「これは時間がかかるぞ」とも思いました。
私同様に、その広場に残されたエキストラ俳優さんたちを見ると、その多くが裸足でわらじを履いているだけなのです。子供たちの多くはガタガタ震えて地団太を踏んでいる子供もいました。
なにしろ雪の降り積もった山道に「裸足のわらじばき」で立っているのです。しかも全員が薄い着物という衣裳です。事前に「防寒するように」という指示はありませんでした。
以上のように撮影スタッフや制作スタッフやADからは何の告知もなく、いつまでこの場所にとどまっているのか、どこかに移動するのか、トイレはないのか、何の情報もありません。
かなりまずい状況です。

私は通りかかったADと思しきスタッフに話し掛けました。

私「いつまでここで待たせるのか?」
AD「わかりません」
私「いや、それはイカン。待機場所やトイレは確保しているのか? もしそうならそこに移動させてやるべきだ」
AD「待機場所はありません。トイレはその辺で済ませてください」
私「いや、男ならそれでも済むかも知れないが、エキストラさんたちの中には女性もいる。なんとかトイレだけでも探してくれ」
AD「すみません。急ぎますので(去る)」

簡易カイロが配布されたのは、私たちが置き去りにされてから2時間ほど後でした。
そしてやっとエキストラ俳優さんたちの撮影が行われ、完了したのは2時間後でした。
つまり4時間も雪の山中に「薄い着物、裸足、わらじばき、トイレなし」で彼らは仕事を全うしたのです。

これが「人権映画」の撮影現場でした。

ちなみに同行した私の出番は延期されました(笑)

吉本騒動に寄せて…
posted by 塾長 at 00:50| Comment(0) | どうでもいい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月07日

昔…こんな仕事があった… 2−2

さて、喫茶店に入ったのは出番待ちのためです。
S・Tさん(男優)とO・Nさん(女優)と私とは喫茶店で出番を待っておりました。と…そこにこの映画の制作を請け負っている会社の社長(女性)が来ました。

型どおりというか、社長はS・Tさん(男優)とO・Nさん(女優)に出演を引き受けてくださったお礼を述べました。
(以下、社長は「社」、O・Nさんは「O」で表示)

社「私らの会社もこういう差別をなくす映画を作らせてもらっています」
O「それはいいことやね〜〜。私もそういう(被差別部落民)ところの出身の人を差別はしないのやけどね〜」


社長の言葉に「差別をなくす映画」というのがありました。私はこれを聞いてゾッとしました。
なぜなら、「この映画はもちろん、これからもこういう人権映画は作られていくだろう。そしてその結果、世の中から『差別』というものがなくなったら、もうこのような映画を作る必要性はなくなるということだ。だとしたら、この映画制作会社はどうなるのだろう? そしてそのような映画に関わる俳優やスタッフ、私も含めて仕事がひとつなくなるということにつながるのではないか…」という発見があったのです。

これは大いなる矛盾ではないでしょうか?

つまり「差別をなくす映画」を作ることは「自分たちの生計を失くしていく行為」だからです。
「健康のためなら死んでも良い」と言っているようなものです(笑)

さて、Oさんの発言の中に「そういう(被差別部落民)ところの出身の人を差別はしない」というのがありました。
Oさんは私の知る限り、「弱きものに寄りそう作品」に出演して来られた女優さんでした。
私のような人間にも親しく言葉を交わしてくださったのです。
確かにOさんの言葉に「差別の意図」は感じませんでした。
しかし、「そういうところの出身」という言葉に「差別意識」を感じてしまったのです。

私にはこの社長やOさんを批判するような資格はありません。
私は自分の中にある差別意識や優越意識を見たような気がしました。

‐つづく‐
ラベル:人権 映画 意識 差別
posted by 塾長 at 01:36| Comment(0) | どうでもいい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月06日

昔…こんな仕事があった… 2−1

昔、ある劇団に俳優として所属していたころ…

ある寒い冬の日、マネージャーが「仕事があるから来て」と言ってきました。
当時は…今もそうかも知れないのですが、「人権啓発映画」というのをよく撮影していました。
被差別部落の問題や、在日外国人(特に韓国人や北朝鮮人)への差別の実態を作品を通じて訴え、「差別をなくそう」という啓発・啓蒙作品です。
こういう作品は小中学校や高校でも上映されていたと思います。
今回の仕事はそういう映像作品に出演するという話しでした。

私の所属していた劇団はそういう社会問題に取り組むのも熱心でしたし、私もどちらかと言えば左翼的だったので、仕事の上でも思想上でも、そういう仕事に取り組む姿勢は持っておりました。
人間が「である」ことで良し悪しを評価されるということに不条理を覚えるからです。
人間は「行動」でこそ評価されるべきだと、それは今も思います。

さて、今回の仕事はいささか複雑でした。
と、言うのも、主演なさる俳優は主に東京の劇団の俳優で、多くが関西弁を話せません。ところが舞台が大阪なので、俳優さんたちは大阪弁を話さないといけません。
そこで私は、そういう俳優さんたちへの大阪弁の指導も受け持つことになりました。
主演なさる俳優さんは、まずS・Tさん(故人)という九州出身の男優さんで、全国的に著名な連続ドラマにも出演なさっていましたので、お名前を出すと多くの方は御存じでしょう。
このS・Tさんとはこの仕事を機に、私的にもお付き合いをしていただくようになりました。私が大阪でささやかな演劇公演をした際にはわざわざご観劇くださったくらいです。(笑)

いまお一人は宝塚歌劇ご出身のO・Nさん(故人)です。このかたは以前から私が「うまい女優さんだなぁ」と思っていましたので、実際にお会いして親しく会話できましたことは望外の喜びでした。もちろん実名を出すと多くのかたがご存じの俳優さんです。
O・Nさんは厳密な意味での関西のご出身ではないものの、永らく宝塚歌劇にいらっしゃったのでので、関西弁も堪能で、私が方言指導をすることはなかったのですが、その演技を間近で見られたことは私の宝物です。

さてさて、私とS・TさんとO・Nさんとは撮影現場近くの喫茶店で出番待ちをすることになりました。

‐つづく‐
ラベル:人権 宝塚 映画 啓発
posted by 塾長 at 01:59| Comment(0) | どうでもいい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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