2018年8月からしばらく閉講します。 また年度変わりに受講生を募集してみます。

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2019年03月30日

こけたらタイヘンなことに ‐その2‐

夜、家内と一緒にスーパーに買い物に行きました。
家内がレジで精算をしている間、私は店の外で立って待っておりました。
すると突然、目の前が真っ暗になったのです!
ちょうどパソコンが訳もなくシャットダウンするような感じです。

ピュ〜〜〜ンッ!

私は誰かに投げ飛ばされたような具合でその場に倒れてしまいました。

そしてその時、前頭部(おでこ)と顎をしたたかに床に打ちつけたのです。
すぐに意識を取り戻して立ちあがりましたが、何やら口の中がジャリジャリします。
すぐにその場でペッと吐き出しました。(お店の人、すみません!
どうやら歯が砕けていたようです。

私は糖尿病ですので低血糖を起こしたのかと思いました。
また最近、かかりつけ医が変わって、糖尿の薬を変えたこともあって、その薬の影響もあるのかも知れないと考えました。
これは明日にでも早速かかりつけ医のところに行って相談しないといけませんね…。
おっと、それよりも砕けた歯の治療を先にしないといけないでしょう。

ほかの考えとしては、やはり前の日の「こむらがえり」による睡眠不足が原因かも知れません。
あまりに疲れ過ぎていたので倒れたのかも知れませんね。
と申しますのは、新しい糖尿の薬は、以前服用していたものと効果はさほど変わらないという説明を受けていたからです。
昼間はなんともなかった……いや、「なかったつもり」なのですが…

家内曰く「歳を取ってからこけると頭から倒れる」とのこと。
あ〜〜〜、歳は取りたくないもんですなぁ〜!

糖尿のかかりつけ医には行かないといけないし、歯医者にも行かないといけないし…
歳を取ると嫌でも医療費が嵩みます…

‐つづく‐
ラベル:糖尿 低血糖 転倒
posted by 塾長 at 23:58| Comment(0) | どうでもいい話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月29日

こけたらタイヘンなことに ‐その1‐

あるイベントに出席しました。
ちょっと普段着では行きにくい場所だったので、当日は年に1,2回しか着用しないスーツで赴きました。
何日か前からスーツを出して、皺取りもちゃんとして準備をし、ネクタイやカッターシャツなども出しておきました。

さて、当日の朝、まずはカッターシャツを着て……ん?……あれれ?
「シャツが小さい!! 首のボタンが止まらない〜!!」
慌てて大き目のサイズのカッターシャツを探し出し、そそくさとスーツを着ました。
靴下もスーツ用のものをおろして履いて、さて靴を履いてみると…
「靴が大きい〜〜〜!!!」

こりゃいけません!
いけませんが、もう時間がない!
ええい! ままよっ!

と、出かけましたところ、まあ靴の中で足がツルッツルッ滑る滑る〜〜〜。
普段は絶対にしない歩き方でイベント会場に電車で向かったのであります。

さて、イベントに出ている時間は無事に終わりましたが、その最中も私の足は靴の中でツルッツルッ〜〜〜。
そのたびに足に負担がかかっていたのでしょう。
駅からの帰路では足が何度も攣って、足を引きずりながら帰宅したのです。

帰宅後に氷で足を冷やさなかったのが、今となっては悔やまれます…

その夜の就寝後、案の定、何度も足が攣って目が覚めました。
はっきりとは覚えていないのですが、4,5回は両足が攣って目が覚めたと思います。
実際に寝たのか寝ていないのかも判然としない状況で翌朝を迎えました。

さて、この日の夜…
とんでもない災難に見舞われた私です。

‐つづく‐

ラベル:攣る 合わない
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2019年03月20日

見えない雲

昔、標題のラジオドラマに出演しました。
「ドイツの原子力発電所で、もし事故が起こったらという想定」で書かれたフィクションです。(原作:グードルン・パウゼバング「みえない雲」)
主人公はヤンナ‐ベルタという中学生の女の子です。

このドラマに出演した当時は旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原発の事故があり、その前にはアメリカのスリーマイル島原発の事故もありました。しかし日本ではまだそれらほど深刻な事故はなかったので、私もそういう事故をごくごく単に想像するしかない状況でした。
振り返ればその時の自分の「想像力のなさ」に忸怩たる思いです。

しかし、東日本大地震で福島第一原発の事故(事故?)があったことを踏まえてこの物語を読み返すと、生々しいリアリティを感じます。それでもやはり私自身は直接の被災者ではないので、やはり偉そうに物を言える立場にありません。

さて、物語の中でヤンナ‐ベルタの両親と祖父母が原発について議論するシーンがありました。
その中の言葉です。

祖父「ドイツの経済は今や原子力なしでは、やっていけないよ。それに、ドイツの原発はソビエトのとは違う。あんな事故は絶対起きないさ」

「ドイツ」を「日本」と読み換えると実感できます。当時私もこの「祖父」のように高をくくっていたと思います。
ヤンナ‐ベルタの両親はもちろんこの意見に対して「絶対安全と言うことは絶対に言えない」と反論します。
これらの議論に対して祖母はこう言います。

祖母「嫌、嫌。もうたくさん。一家団らんはもっと楽しい話題を選ばなくちゃ」

現実逃避とも言えますが、それも人間というものでしょう。

ほかにも様々な言葉と行動とエピソードが強烈なリアリティをもって私たちに迫って来ます。

すみません…
言葉が出て来ない…
物語の紹介だけしておきます…
posted by 塾長 at 22:02| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

ムダをさせる役割がエンシュツカ?

ごく稀に舞台やドラマの演出を担当することがあります。(だいだい、5年に1回くらい)
でも、通常は、自分が演出を担当するのではなく、「演出家先生」のお手伝いをすることのほうが多いです。
そういうポジションはなんと言うのでしょうね…。
舞台監督でもないし、演出助手でもないし、ADやFD(これらはテレビか…)ではもちろんありません。

う〜ん、「アドバイザー(助言者)」が近いように思います。
舞台公演やAV作品制作(アダルトビデオではない)をするに当たって、演出から何かを尋ねられたら自分の知っている範囲で答えるということが多いので、やはりアドバイザーが適当ですね。
もちろん私にいわゆる「決定権」はありません(笑)
決定権を持っているのは演出家先生です。

さて、多くの演出家先生と一緒に仕事をしていると、どうにも疑問に思うことがあります。

@本番で使うかどうかわからない大道具を作らせる
A効果があるかどうか不明な衣裳を作らせる
B説明的な効果音を多く求める
C理由を言わずに作り直しを要求する
Dやはり理由のわからない演技表現や動きを求める

それぞれ説明しておきます。

@本番で使うかどうかわからない大道具を作らせる
いろいろと細かい注文をつけて製作させるのは構わないと思います。スタッフもその注文に応じるのが仕事でもありますからね?
さて、稽古が始まってからも手直し(修整)の要求が出るので、そのたびに作業を行います。そして、これが何度も続きます。
やがて本番前の仕込みをしてから「やっぱりカットする」と言われる。
どうして稽古中に、そして、手直しをさせる前に判断できないのか?
なんで「やっぱり」なのか??
徒労を命じるのは「刑罰」です。

A効果があるかどうか不明な衣裳や小道具を作らせる
舞台公演では観客と舞台の間の距離は結構あります。
映像ではアップもあって細かいところまで見えますが、舞台では、あまり細かいところは見えません。
だから舞台で使う「物(小道具)」は現実の物より少し大きめに作るのが原則です。また「現実の物」より、そのように「作った物」のほうが効果的な場合が多いのです。
なのに演出先生は演劇であるにもかかわらず「本物」を要求する。値段の問題ではなく「効果」の問題です。
舞台と映像は違います。

衣裳もそうです。
例えば「小紋」の着物などは舞台では「無地」に見えてしまうことがあります。だから例え「小紋」と言えど、「客席から見て小紋に見える着物」にするのが妥当でしょう。
衣裳も常に「客席から見てどうなのか」を考えるのが演出の仕事です。もし、演出にそれがわからないのなら衣裳担当スタッフにお任せしたほうが安全です。ところが演出先生は自分のことを「全能の神」と勘違いしているのか専門家の提言を認めない。

B説明的な効果音を多く求める
これに当たった音響担当や効果マンは大変です(笑)
ラジオドラマで多くあるのが「足音」の要求です。素人の脚本や演出では「SE 足音」というのが多い。
でも、ちょっと考えてみてください。私たちは日常生活でどれだけ「他人の足音」を意識的に聴いているでしょうか?
視覚障害者であればともかく、健常者はそれほど意識していないでしょう?
別に「足音のSEをつけるな」ということではありませんが、必要以上に「足音」をつけるとウルサくてしょうがない。
効果音はまさに「効果」的でないといけません。
これは音楽でもそうです。

昔、ある放送局のラジオドラマで効果音を担当したとき「蝶の羽音」を演出から求められてウンザリしたことがあります(笑)
一応は作りましたけど本番ではカットされていました。

C理由を言わずに、やり直しを要求する

これはナレーションでも多いです!
「はい、もう一回やってみよう〜」というやつです。
「噛んだ」とかアクセントを間違ったというのはナレーター自身もわかっていることが多いので、それはもちろんリテイク要求に応えます。
しかし、どこに問題があったか言わずに、あるいは「どこが問題だったかもわからない」演出の要求に応えるのは容易ではありません。
仕事では時間が求められます。
いくら時間をかけても良いということではないのですから、お互い「プロ」として問題点を共有することが大切です。

最近のCMで「ぬいぐるみ」の演出が俳優に「言い方チガウ〜」と言っているのがあります。
「アホ演出」というのはああいうのです(笑)

Dやはり理由のわからない演技表現や動きを求める
俳優に表現を求めるのは演出の仕事のひとつでしょう。
中にはすぐに意図のわからない演出もあります。もしそれが俳優に対する、あるいはスタッフに対する「教育」ならば良いかも知れません。
しかし、「教育」はそれなりの知見と体験と配慮のある人がすべきものです。
たまたま手に入れた立場(演出)にあぐらを掻いて「理不尽」(理由を尽くさない)をやっていいものではありません。
出演者やスタッフはもちろん、最終的には観客にもその「理由」が理解される表現を要求しないといけません

以上、私が多くの演出家先生に接してきて感じた疑問です。
ほかにもいっぱいあるのですが、今回はこれにて…





ラベル:無駄  演出
posted by 塾長 at 22:53| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

誠に〜遺憾に〜ソンじ〜ます〜

コカインという違法薬物の使用で某タレントが逮捕されたそうです。
幻覚などを引き起こす有害な薬物と言うのは依存性が高くてよろしくないそうですね。
まあ、人間と言うのは弱い生き物で何かに依存したくなることもあるでしょう。
かくいう私などもアルコールとニコチンにイソン……あれ? イゾン……あれれ?…どっちやったかな…?

さて、ここで問題です。
「存」という字は「ソン」とも「ゾン」とも読みますね?
皆さんは次の「存」をどう読まれますか?

依存
異存
共存
存在
存念
現存
残存



私は上から…
ソン
ゾン
キョウソン
ソンザイ
ゾンネン
ゲンソン
ザンソン


問題になるのは最初の「依存」ではないでしょうか?
今回のニュースでもよく出てくる言葉ですね。
私もナレーション時にこの「依存」を読むことがあります。

また「世界との共存共栄を願いながら…」などというフレーズを読むことがあります。
私はこの場合もちろん「キョウソンキョウエイ」と読みます。
ところが某社のナレーションでは、この場合「キョウゾンキョウエイ」と読まないと、即時スポンサーに激怒されます(笑)
「違う違う! 間違いだよ! キョウゾンだよ! 何やってんだよ!」
という具合です。
調べてみると、その会社の創業者が「そう読んでいた」らしいのです。
社員の皆さんは創業者を尊重して「これはキョウゾンだ! うん、ゾンだよ!」と言う風に決めたのでしょうね。

でも、やはり元々というか、正しくは「キョウソン」だったことでしょう。
今は局のアナウンサーや国語の教師でも「キョウゾン」と読む人がいることでしょう。

漢字の読み方、書き方(文字)、そして意味やアクセントも時とともに変化していきます。
「言葉は生き物だ」というのはそういう事実を指しているのでしょうね。

でも、後発の事実をもって「お前は間違っている!」と決めつけるのはやめてくれないかなぁ〜。



posted by 塾長 at 23:49| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月06日

やれるからやる

「やれるんだからやっていいじゃないか」という考え方が巷間に広まってしまった感があります。

人によっては「自分は何だってやれるんだから」と勘違いした立場の人が、「自分は、やっていい」と自らの正当性を臆面もなく表明する人もいます。
「物事を決められない組織はダメだ」と言って「決められる組織にする」と声高に言う人もいます。
そりゃ多くの意見や都合を聴いていたら決めたいことでも決められないことはあるでしょう(笑)
でも、それこそが民主主義というものの宿命であり、長所であり、同時に欠点でもあるのでしょう。
すなわち「決められる組織にする」という人の本音は「自分だけで決める」ということなのかも知れません。
そりゃ他人の意見を聞かずにいられるのだから自分ひとりで決められますわね(笑)
こういうのを「独裁」と呼びませんか?
この国では今や「独裁者」が多くいます。
親が子を殺すのもそれではないでしょうか?

でも、「やれるけどやっちゃいけない」という心のほうが大事なようにも思います。
この国はいつの間にか「それはやっちゃいけない」という誇りや恥の心が失われてしまったように思います。
「美しい国」の定義は何なのでしょうか?

やれるけどやっちゃいけないことを心に刻む
やれないかも知れないけれど他者の幸せのためにやらねばならないことがある
やりたいけれどやっていいのかどうか自らの良心に問う

以上のことは「仕事」でも言えるのではないかと私は思っています。
俳優や声優の仕事でもこれは言えると思います。

やりたい(欲求)
やれる(技術)
やらねばならない(責任)

プロの俳優や声優にとっての優先順位で言えば【欲求<技術<責任】ではないかと思います。
つまり「プロ」にとって最も大切なものは「責任」だというのが私の主張です。
この国はあまりに「責任」を軽んじる国になってはいないでしょうか?

まあ、「ミミズの戯言」ですが…
posted by 塾長 at 00:24| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

ちょっと譲ると…

昔、私がファンだった野球チーム(仮にTとしておきます)が日本シリーズに出場しました。
相手のチームは仮にLとしておきます。
当時のTは同じ監督で前々年にも優勝しており、ひいき目ながら強いチームだという印象を持っていました。

さて、日本シリ−ズ前には監督同士の打ち合わせみたいなものがあります。
主にルールの部分でのすり合わせのためでしょう。

するとLの監督がTの監督に提案したのです。
「互いに予告先発をしませんか? うちのリーグではやっていますよ」
当時、Tの所属するリーグでは予告先発はなかったのですが、Tの監督は余裕があったのかその提案を了承したのです。

私はそのニュースを見て「まずいぞ!」と思いました。
先発投手を事前に明かし合うことはどうでもいいのですが、Tの監督が「相手の言い分を丸呑みにする」ということに危機感を持ったのです。
つまりまず初手から「相手にコントロールされている」ということになるのが問題なのです。

これが原因ではないでしょうけれど、シリーズでTはLに完敗しました。

何事によらず「それくらいならいいじゃないか」と相手に譲ることはよくあります。
ただ、その先に何が起こるかは常に考え、想像しておかないといけません。
ささいな譲歩はやがて取り返しのつかない事態につながる可能性があるということです。
posted by 塾長 at 12:53| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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