2018年8月からしばらく閉講します。 また年度変わりに受講生を募集してみます。

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2019年06月30日

バカを再認識

私はお陰をもちまして、いろいろなところで演技その他の指導に当たることができています。
その場では、有名な声優、著名なナレーター、実績あるアナウンサー各位が指導に当たっておられます。
そういう有能かつ有名なかたがたと同じように指導に当たらせていただける状況は身に余る光栄です。
私は無名、無能、無力の三無主義…じゃなくて「三重苦」な人間です。

その中のある教育機関で、私は公演の演出を担当なさる有名声優さんの補助の任に就かせていただいております。
これだけでも恐れ多い事なのですが、いかんせん、私はバカなので演出の意図がさっぱりわからないのです(涙)

なぜそんな動きや段取りを指示するのか?
なぜそんな舞台装置なのか?
なぜそんな小道具が必要なのか?
なぜそんなセリフ表現を求めるのか?
なぜそんな衣裳なのか?
なぜそんな音響効果を良しとするのか?

どれも全くわからないバカな私です。

演出の意図を理解できない無能なので、受講生(生徒)の抱える問題にもちゃんと答えることができません。
それでも受講生(生徒)は、私に対してちゃんと「先生」と呼んで下さいますし、「先生、こういう場合はどうしたらいいでしょう?」と質問してもくれます。ありがたいことです!(感謝)

さりながら、なんともお答え申し上げることもできないのですぅぅぅ…(涙)
何しろバカなので演出意図が理解できないし、演出家の先生からは「余計なことを言って混乱させるな!」と釘をさされています。
「あなたは余計なことをしないで、スタッフワークの心配だけしていればいいのっ!」
とも言われています。

仄聞すれば、これまでの演出家先生たちは顔を合わせると「あいつ(私のこと)はダメだよね〜〜〜とんでもないヤツだよ〜」と互いに私の無能さを挙げてお笑いになっていらっしゃるそうです。
あ〜〜〜〜、もっとちゃんと勉強して「有名」になっておけばと悔やまれます。

でも、私が有名になるより、学生たちが「有意義」を感じて卒業してくれるほうがうれしいです(笑)
posted by 塾長 at 01:01| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月25日

人間は「過去」を忘れる

私は立場上、多くの「若者」に出会います。
その多くは「演技やナレーションや朗読などの指導の現場」です。
私は自分が経験してきたことを彼らの参考になればと思って話しています。

そして、彼ら若者は10代から20代の人たちです。
私にも当然そのような時代がありました。


昔、私がそのような若輩者の時、いわゆる「大人」が集うバーに入り浸っていたことがありました。
あまり具体的なきっかけになるエピソードはここでは言えませんが、大人たちが「酒を飲んで辛さを忘れる」ということが本当なのか…
本当にそうならそれ(酒)に頼りたいと、その頃は思っていたのでしょう。

するとある日、そのバーで同席していた見知らぬ年配者が私にこう言いました。

大人「おい、お前は大学生か?」
私「はい…ぃ……」
大人「けっ! 親の脛かじりが一人前にエエ気で酒を飲んどるんか? 何の苦労もせんとええ御身分やな(嘲笑)」
私「(言われてみればそうなので黙っていた)……」
大人「何の苦労も悩みもない、クソみたいなお前らがうらやましいわ!(嘲笑)」

私はもちろん言い返せませんでした。
ただ、「何の苦労も悩みもない」という言葉にはカチンと来たのは事実です。

歳とは関係なく、悩みや苦労のない人間などいない

と、思ったからです。(振り返れば、確かに恵まれていたのだろうとは思いますwww)

果たして、現在、歳をとってしまった私……

あの時の「大人」のようになっていないのかと自問する時があります。
それは先述した「指導の場」でです。
偉そうに、相手が自分より経験や知識の乏しいと思われる「若造」を見下していないか……

人間は「過去を忘れるもの」です。
明らかに自分より年下、あるいは自分より経験や知識の乏しいと思われる相手を私たちは見下していないか……
はたまたそれによって自分の優位を誇っていないか…

知識や経験は「後進に伝える」ものであって、「自分の優位を誇る」ものであってはいけないと思う、クソジジイです(笑)

「振り返ることの大切さ」(歴史)を無視してはいけません。

posted by 塾長 at 02:45| Comment(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月20日

浦島を知らない子供たち その二

「物語の主役は最も劇(はげしい)的な行動を執った、あるいは大きく生き方(考え方)を変えた人物」

それが前回のブログでの私の主張でした。

そこで、どんな物語であれ、各登場人物の「行動」の変遷を見て行くことで、その人物の「劇的行動」は明らかになると思います。
サンプルとして「浦島太郎」の行動を見ていくことにします。主語を必ず「浦島太郎は、が」というものにします。こうするとわかりやすい。

浦島太郎は(が)……

@亀を助けた
A竜宮城に行った
B乙姫に会い、もてなされた(受動的行動)
C竜宮城での生活を楽しんだ
D故郷に帰りたいと思った
E乙姫から、開けてはいけない玉手箱を貰った(受動的行動)
F故郷に帰った(必然的帰結)
Gたどりついた故郷は、すでに見知らぬ土地であり、見知らぬ人々ばかりだと知った(事実の確認)
H玉手箱を開けた
I老いた

ま、ざっとこんなところでしょう。
受動的行動や必然的な帰結など、浦島太郎の「主体的行動」以外のものはさして重要ではないと思います。

@は物語の発端となるエピソードですから、かなり重要でしょう。これがないと少なくともA、B、Cはありません。
つまり@は起承転結の「起」にあたる部分、「問題提起」ですね。
するとA、B、Cは「承」に当たります。※ちなみにこの「起」と「承」を合わせて「序」と呼ぶこともあります。

そうなると「転」はどれか自ずと知れます。
D故郷に帰りたいと思った
ということになります。※この「転」は先の伝で言うと「破(は)」と言うそうです。

これで浦島太郎の物語は「人間は享楽よりも望郷の念のほうが強く大切に思うものなのだ」ということを描いた物語だと言えます。

ところが物語はさらに浦島太郎に試練を与えます。つまりG以降の状況、すなわち「結」の部分です。

※これも先の伝で言うと「急」というそうです。物語の構成は、昔は「起承転結」ではなく、「序破急」でした。

自分を知る人がいない、自分が知る場所ではないということは「自己の喪失」を意味するのではないでしょうか?
つまり「死んだも同然」という状況です。
浦島太郎は「自分という存在を取り戻す」ための手段になるかと考えて玉手箱を開けます。これは劇的行動ですね!
結果は「老い」をもたらしました。
単に「失われた時間」だけがかろうじて戻ってきたのです。

「失われたものが戻ってくる」ということは、ある意味で幸せなことかも知れません。
一方で、浦島太郎は竜宮城での楽しい時間や乙姫との甘美な思い出だけを胸に秘めて生きていくのかも知れませんね。それも幸せと言えるのかも知れません。

さて、浦島太郎に玉手箱を渡した乙姫は、いったいどういう思いでそういう行動に出たのでしょうか……
私には不可解です。

「私のことは忘れてください」と思っていたのでしょうか?
あるいは…
「私との思い出だけを大切にしてね…」と思って渡したのでしょうか?
不可解です。

しかし、いずれにしても乙姫の行動も「劇的」な行動として捉えることも可能なようです。
そうなると、浦島太郎の物語を「乙姫の物語」(乙姫が主役)として解釈することもできそうです。

このように、物語は「誰の行動を劇的(主役)と捉えるか」によって重層的解釈が成立します。
皆さんもご自分の知っておられる物語の主役を問い直して見られたら、新たな視点でその物語を解釈できるかも知れません。

さて……

以上のような解説をあるところで十代の若者たちにいたしました。
すると、なんと!
全体の2割強の若者たちが「浦島太郎の物語を知らない」という事実に直面しました!!

故郷に帰った浦島太郎の孤独が、少しわかったように思います。



posted by 塾長 at 00:48| Comment(0) | 演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月17日

浦島を知らない子供たち その一

「この物語の主人公は誰か?」

この問いに答えるのは結構難しいものです。
昔、国語の授業で「走れメロス」が教材で、教師が私たち生徒に「この話で一番かわいそうなのは誰か?」と問いました。
多くがメロス、その友であるセリヌンティウス、メロスの妹、妹の婚約者をそれぞれに挙げたのですが、ヘソ曲がりな私は「王だ」と答えました(笑)
するとその国語教師は「お前は独裁者を擁護するのか!」と激怒しました(笑)

「教師は激怒した」

いやいや、私はちゃんと答えたつもりだったのですが…

私「いや、王は確かに独裁者の立場ではあるが、独裁者になりたくて生まれてきたわけではない」
教「部下や親族を殺す王のどこが【哀れ】だと言うかっ?!」
私「なぜ王がそのような猜疑心の塊になったのか、その原因を追求する必要がある。この物語はそこに触れていない」
教「そんなことは考える必要が無い。なぜならこの王は独裁者だからだ。独裁は悪である」



もう話しになりませんでしたな(笑)
余談ながら、案の定、後の定期試験で『この物語の主人公は誰か?』という問題が出たので、私は迷わず『王である』と書いて×印を頂戴しました(笑)

さて、少し話を戻して、「物語の主人公」というのは「最も劇的な行動を執った人物」であり、「大きく価値観と行動を変えた人物」というのが一般的な判断基準です。

そのような観点に基づくならば、「走れメロス」の主人公は、やはり「王」ではないでしょうか?(笑)

ちなみに「劇的」の「劇」というのは「演劇」の「劇」でもあります。ドラマチックというやつですね?
「劇」は訓読みすると「劇(はげ)しい」という意味です。つまり「演劇」とは「しい(こころ)をじること」なのです。
それも見せかけ(最近の日本のテレビドラマのような)ではなく、本心からの「劇しい心」でないといけないと思います。

人間は「見た目の派手さ、大きさ」に心奪われるものです。
世間で大きな物を建てるのはその現れです。宗教施設は大抵が大きいでしょう?(笑)
まあ確かに大きな容器にはたくさんものが入りますけどね?
でも、見た目に騙されてはいけません。
その外観の奥にあるものに思いを馳せることが重要なのではないでしょうか?

小さい自分に劣等感を感じつつ……(笑)

つづく〜〜〜〜
posted by 塾長 at 23:57| Comment(0) | 演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月07日

発声訓練について思うこと

先日、あるところで「発声訓練」について説明する機会がありました。
ここでいう「発声訓練」というのは「歌」におけるそれではなく、私が経て来た「俳優」「声優」「ナレーター」におけるものですので、その点はご了承ください。

俳優(声優)やナレーターのための「発声訓練」というものは、なかなか科学的裏付けに基づいて実施されていないように思います。
大昔の中学や高校の部活の中での訓練が旧態依然として行われているような印象を受けます。
運動部系の部活では、その昔、うさぎ跳びをさせられていたり、練習中は摂水を禁じられていましたが、さすがに最近は生理学的な研究も進んで、さすがにそんな「無意味」な指導をする部活はないでしょう。それでも運動部系では旧態依然として「体罰」が行われているようでもありますが…。

さて、どちらかと言えば「文化系」の俳優(演劇部)やナレーター(放送部)の部活ではどうなのでしょう?
私は学校のそういうクラブの指導はしたことはありませんが、現在はプロの養成所などのレッスンには講師として呼んでいただいています。
そういうプロの養成所でも、聞くところによれば、講師はレッスン生に対して…

「皆、声が出ていないね。じゃ、発声!」

と呼びかけて、みんなで、

「ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

とやるそうです(笑)

いやはや、なんとも…

私も十分に勉強をしてきたわけではありませんが、自分がこれまで受けて来た「発声訓練」や、世間で行われている「発声訓練」(ア〜〜〜〜〜!!)については検証をしてきたつもりです。
その中で、私が「問題あり(有害)」あるいは「非効果的」そして「無意味」と判断してきた項目を挙げてみます。

●「外郎売のせりふ」(日常で出て来る発音の難しい言葉には対応できない)
●『北原白秋「五十音」』(♪アメンボ赤いな〜というやつ)
●腹筋運動
●ロングトーン(ア〜〜〜〜〜〜!!)
●スタッカート(特にお腹をへこませさせるもの)
●腹式呼吸(お腹を意識してというやつ)
●大きな口を開けて発音をはっきりという指導
●口の開け方(アイウエオに関して)

あなたのやっている、あるいは受けている「発声訓練」とやらが、上記のいずれかひとつでも該当するようなら、その先生や先輩や部活は「発声」について勉強をしたことのない人だと断言しましょう(笑)

私は世間で行われているところの上記のような指導を論破したいわけではありません。
ただ、無意味、有害、非効果的な訓練をさせるのではなく、「ちゃんと勉強して裏付けをとった練習方法」を後進に伝えてほしいだけなのです。

浅学非才の身で偉そうに言ってすみません

posted by 塾長 at 20:10| Comment(0) | 発声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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